成木村希望の碑

                

 多摩の成木の里は青垣山四方を周りて成木川その間を流れ、或は瀧津瀬を飛ばし或は銀蛇をくねらしてあまねく国土を肥やし麦生藷生を始めとしてさわの田那つ物青物四季を通じて緑の美観を絶さず。民族純撲にして生業に勤しみ公事に尽くし私事に譲り殊に子女を愛しみて望を其の将来に懸く。名刹安楽寺に杉銀杏 欅の三巨木あり。いづれも千年の老樹にして或は針葉常磐の壮観により或は濶葉黄緑の美観によりて雲を凌ぎつつ郷人の志気を鼓舞す。実に老樹は国の宝なり。而して灌木蔬菜花卉の類うら若き色彩をその間に點綴し新陳交替せしめて人の世の理想の両端を暗示す。若き農村成木の長へに伸び長りて成木する将来や実に頼もしというべし。こたび我が成木国民学校増築その功を竣ふるに当り特に高遠の希望を掲げて村の将来を頌ふ。後に来る者よく奮闘努力せよ。
                   
丈高き遠き行く手を望みつつ日々をいそしむ我が成木かも
山めぐり川うるほして成木野の麦生藷生は緑次ぎ継ぐ

昭和二十一年新緑もゆる五月つひたち
多摩の成木に疎開せる折           文学博士  五十嵐 力 撰書
*原文は縦書きで、すべてが旧字体になっています。

昭和20年8月に太平洋戦争が終わりましたが日本中の町や村は長く続いた戦争と、終戦後における社会機構の大きな変革とで混乱を続けていました。
しかし、人々は、そのような中で復興と新たなる国創りに向けて日々、模索を続け、奮闘、努力しました。成木村(当時は西多摩郡成木村)においても『教育立村』を柱立てにした村創りが進められていきました。
まず、その一環として旧成木小学校の新校舎(平屋建て)が昭和13年に増築されたものの戦争の激化によって行なわれていなかった竣工式を行なうことにし、併せて奉安殿の跡地に『成木村 希望の碑』を建てようという計画が立てられました。そこで、その碑文を当時、下成木軍茶利(現 成木1丁目)に疎開しておられた早稲田大学名誉教授の五十嵐力先生にお願いしました。著名な国文学者、五十嵐先生の格調高い文章は、すばらしい自然と、そこに勤勉なる人々が住まう成木村が若き農村として長しえに発展するであろうことを頌えた名文です。碑面には先生ご自身の筆になる長文と2首の短歌とが刻まれています。
希望の碑の除幕式は昭和21年12月13日に行なわれました。また、22年4月には新制中学として成木中学校が旧成木小学校内の教室を使って誕生しました。中学校が開校したときには、すでに五十嵐先生は亡くなられていましたので、その校歌の詩は先生の高弟で早稲田大学教授の岩津資雄先生にお願いいたしました。岩津先生は、その第1節に『あふぐ希望の碑文はミく』と、恩師の偉蹟を織り込まれ、校歌が歌い継がれる中で希望の碑の心が今もなお成木に生き続けています。
   (平成12年2月23日発行 学校通信『山なみ』特別号)より引用